*宇野先生と親交の深いアーティスト、吉岡まさみさんのニューヨークレポートが届きました。*


「吉岡さんの文章はいいよ、すごく。時々もらう長文メールもみんな公開したいくらい。このニューヨークレポートは僕も関係してるし、みんなにもぜひ読んでもらいたいと思います。油画のサイトへの掲載を快諾してくださった、吉岡さん、データを送ってくださった杉田先生、ありがとうございました!」
私の個人ページの展覧会報告、ニューヨーク日記も見てくださいね!・・・って、まだ書きかけ&未公開だった!!(^^;> (宇野)

=========================================================



10th Ave.(テンス・アベニュー)




                                   吉岡まさみ



2010年3月26日(金)

 成田空港で木嶋さん、宇野さんと落ち合う。学校の仕事を途中で放り投げて駆けつけたわたしは自分でも、ダメだこりゃと思うくらい疲れていたが、ご両人もやつれた顔をしている。やっとここまで辿り着いたという感じである。うらぶれているという形容も正しい。
 心配していた手荷物検査は無事通過。目薬も、糖尿病のインスリン注射器も何事もなく、はいはいどうぞってな調子でスルーした。
 三人でお茶を飲んでひと休み。やれやれ。木嶋さんは、暗い顔をしてぼそぼそと話しを始めた。出がけに奥さんと一悶着あったのだそうだ。私もニューヨークに行きたかった、あんたばっかり好きな所に旅行してずるいと訴えられたらしい。そんなこと今になって言われても、そんならそうと前もって言ってくれればいいのに、と木嶋さんが反論してももう遅い。女性というものは、「今になってから」言うのが常なのだ。早く言ってくれればなんとかしたのにという論理は通用しない。女性は論理ではなく感情で物事を考えるからである。わたしも宇野さんも、どう答えたらいいのかわからなくて、お土産買わなくちゃねなどとごまかすのが関の山であった。

 話題は、ところでニューヨークに行ったらチップはどうすればいいのかな、という内容に移った。タクシーはまあ5ドルくらいだろうなあ、3人だから9ドルでいいんじゃない?のんびりした話しに聞こえるかもしれないが、三人は真剣である。レストランは?あれって最近はチップを自己申告したりするんだよね、ホテルは?あれはベッドに置いておくんだよ、1ドル?1ドルは少ないんじゃないの、3ドル?いやあ2ドルでいいでしょう。
「マクラゼニだからねえ」と木嶋さん。
マクラゼニ?それって枕銭?
なんだっけそれって?どっかで聞いたことのある言葉のような気もするが、そういう時に使う言葉だっけ?でも枕銭っていう言い方いいなあ。しっくりくる。

 アメリカンエアライン。三人横並びに座る。18:40の予定時刻を遅れてtake off。飛行機の場合、遅れるというのは電車がちょっと遅れるというのとは違う。30分とか1時間とか平気で遅れるのである。しかし搭乗客は誰一人文句も言わずに我慢している。これが電車だったら3分遅れてもイライラし、10分遅れようものなら駅員をつかまえて、どうなってんだ、と喰ってかかる人が出てきたりするのに。不思議だ。
 飲み物は?と英語で聞かれて、思わずコーラと答えてしまった。糖尿病患者は、コーラといっしょに配られたナッツを口に放り込みながら、インスリンの注射をした。
 数十分後に夕食も出た。機内食なんていうものは、どこもみんな似たようなものだから、なにも書く必要はないと思ったのだが、AAの機内食は挑戦的だ、これは是非とも書き留めておかなければと考え直し、ここにメニューを紹介することにする。

 パスタorライス?と訊かれたので、とりあえずライスと返答。どちらか一つを選べるわけだ。ビーフがごろごろ入ったシチューのかかったごはんがトレーの真ん中に鎮座している。ごはんなのにちゃんとパンもついている。パンにはバターも。さらにお寿司まで!エビが載った握りが一個と、ごろんとしたおデブのお稲荷さん。サラダもあってこれにはたっぷりのパスタが… さっきパスタかライスかと訊いたくせに、パスタもちゃんと入ってるじゃん。パスタを選んだ人にもライス(お寿司)がついているに違いない。さらに驚いたことにクラッカー一袋とKiriのチーズまで載ってるぞ。炭水化物のパレードだ。ペットボトル入りの水も配られた。
 Something to drink?と訊かれたのでcoffee、blackでねと言うと、「ソノママデ?」などと生意気に日本語で返してくるヤンキーガール。いや、ガールじゃないなあ。ヤンキーミドルかな。宇野さんも真似をして「ソノママデ」と言っている。

 炭水化物の攻撃に遭いながらも糖尿病患者はAA機内食を完食。大男の大食漢もこれだけあれば満足だろう。木嶋、宇野氏も完食したようである。あんたらね、こんだけ食べたんだから夜中にお腹が空いたとかわがまま言うんじゃないよ、というAAのメッセージが伝わってくる。ペットボトルの水からは、これで朝までなんとか過ごすんだよ、という言葉が聞こえてくるようだ。

 わたしは、ビーフとライスをプラスチックのスプーンで口に運びながら、クラッカーとチーズを袋入りのキッコーマン醤油、ソルト&ペパー、バターといっしょにカバンに忍び込ませて遭難したときに備える。プラスチックのナイフも鮫に襲われるかもしれないので頂戴する。スプーンも入れた。
 食後、トレーをかたづけたあとに、さらに、もっとなにかドリンクはいらないかと訊いてくる客室乗務員。いらないと答えると、ウソ、いるだろ?遠慮するなよという顔をする。さっきのヤンキーミドルは「オノミモノ?」としつこい。



               
26日、18:20ニューヨーク・ケネディ空港着。日本を発ったときとほぼ同じである。少し戻ったか。入国審査は簡単に済んでしまった。3年前に来たときよりもかなり緩い感じで、はいどうぞ。手荷物もノーチェック。注射器も調べられない。せっかく井上病院で書いてもらった英文の診断書も見せる機会がなかった。ただ指の指紋は10本の指全部取られた。前回は人差し指だけだったのに。

 外に出るとかなり寒い。日本でいうと2月くらいかな。
 タクシーでホテル到着。45ドル。高速代を入れると50ドルちょっとだったので、チップを含めて60ドルね、と言って運転手に渡すと、嬉しそうに、Thank you sirと受け取る。マンハッタン、10th Avenueの49St.にあるザ・スカイラインホテル。5階建てで古いが落ち着いた雰囲気である。
 ホテルを手配してくれたのはJTBである。じつは、木嶋先生はJTBの会長である舩山龍二氏の知り合いで、彼の個展にも足を運んでくれたことがあるというので今回協力をお願いしたのだ。さらにじつは、舩山氏は山形の出身でわたしの高校の大先輩でもある。そんなこともあって、木嶋さんとわたしは図々しくもJTB本社に舩山氏を訪ねて、我々のアート活動とそれに伴う貧乏ぶりを訴え、従ってなんらかの援助がほしいと願い出たのであった。ホテルは安いところを、飛行機も格安を探してほしいという不躾なお願いを快く聞いてもらったのであった。 
 一泊1万5千円。木嶋さんは、え、高いんじゃないの?と言っていたが、そんなことはない。マンハッタンでこの値段はかなりリーズナブルである。三人とも別々の部屋でシングルと頼んでいたのだが、中に入ってみるとツインだった。広くてきれいだ。日本でいうところのベッドを一つだけ設えた「シングル」というのはこっちではないらしい。ツインが最小単位だ。これなら日本より安いかも。さすがJTB。



 三人で外をぶらぶら歩きながら夕食を食べる店を探す。10番街に沿ってダウンタウン方面に歩いていくと、メキシコ料理の店が目に入った。店の前まで行き、中の様子を覗いてみるが、人気店なのか混んでいて入れそうにない。さらにしばらく歩を進めると、タイ料理屋さんを見つけた。あれ?でもなんか暗いなあ。やってないように見えたが、OPENという札が掛かっていて、中から野球帽を被ったいかにもタイのおばちゃんといった風采の女性が出てきて我々を招き入れる。英語もなんかアジアンな感じでほっとする。薄暗いうらぶれた雰囲気の店だが、我々は気に入ってしまう。こんな感じでやっていけるのかなあと要らぬ心配をしていたら、次々に常連さんらしい客が入ってきて混みだした。
 とりあえずタイビール。グラスが出てこないので瓶から直接飲むことにして乾杯。いろいろ食べて最後にトムヤムクン。この店のお勧めは何かと訊くと、フライドライス・チキンと言うので頼んでみるとこれが美味しかった。


 木嶋さんと宇野さんの紹介をしよう。

 木嶋正吾。山形県出身。多摩美術大学・油画科教授。ソフトな人柄と熱心な指導で学生の人気と信頼絶大の先生。弟の木嶋正英氏は実は私の予備校時代の同級生である。予備校といっても大学予備校でなく高校予備校である。でもどこでどうやって知り合ったのかは忘れてしまった。画面に金属板をつけた作品で知られているが、最近は送られてきたハガキを画面に貼り付ける仕事をしている。よく見ると宛名の文字が裏返しになっている。木嶋さんによると、裏返しに貼ることで、「向こう側」に向けて思いを返送しているということだ。「向こう側」とは黄泉のことだろうか。

 宇野和幸。千葉県出身。京都嵯峨芸術大学・油画科教授。自宅は東京にあるので毎週東京と京都を往復している。宇野さんとは千葉のグループ展で知り合った。誠実な人間味あふれる性格と、好奇心旺盛なエネルギーに満ちている。廃墟の写真を撮り、それをパソコンで複雑な工程を使って加工し、それを和紙に転写し、さらにその上に彩色したりテープを貼ったりする。最近は和紙を重ねて立体的にして、インスタレーションを展開している。

 セーラムギャラリーの竹本三鈴さんから、力のある作家でニューヨークで発表したい人がいたら紹介してくださいと言われて、お二人を推薦し、今回の三人同時個展の仕儀となったわけなのだ。


 帰りにホテルの向かいにあるDELIで買い物。DELIっていうのは日本でいうコンビニかな。24時間営業している。水と軽い食べ物を買い込む。明日はゆっくりと朝寝をして昼になんか食べに行こうということになったが、朝、お腹が空くといけないのでパンを買うことにする。ペパリッジファームのパンがあったので一袋購入し、三人で分ける。ペパリッジファームのクッキーは日本でも買うことができる。美味しい。薄くスライスされた食パンが20枚ほど入っていたので6〜7枚ずつ。機内でゲットしておいたバター2つとジャムが1つあったのでこれも一つずつ分ける。わたしはバナナとリンゴとプラム、ヨーグルトも購入。

 部屋に戻ってシャワーを浴びようとしたらお湯が出ない。いつまでたっても冷たい水がザーザー落ちてくるだけである。夜中だし、フロントに連絡するのも面倒なのでシャワーは諦めて寝てしまう。




3月27日(土)

 朝、フロントに行ってお湯が出ないと訴えるとマネージャーっぽいおじさんがどっかに電話してくれて、OKだよ、と告げるので部屋に戻って蛇口をひねるとお湯が出た。さっそく湯船にお湯を溜めて身体を暖める。入浴後、確認のためにもう一回栓をひねるとまた水しか出てこなくなった。またフロントに行くと、今度は若いお兄ちゃんが、オレがいっしょに部屋まで行ってチェックしてやるよ、というのでいっしょに来てもらう。こうやって右に回すでしょ、で、この線をこのHに合わせるのよ、ね、こうするとお湯が出るでしょ。あ、なるほどそうやるのね。おれが使い方を理解してなかっただけだったのね。申し訳ない。お兄ちゃんといっしょにフロントまで戻る。エレベーターの中でお兄ちゃんは
 「ジャパン?」と話しかけてくる。
 「イエス」
 「オサーカ?」
 「いやいや、トーキョーだけど」(なんで大阪なんだ)
 「トーキョーか。トーキョーはいいところだよねえ」
 「行ったことあるの?」
 「ない」
 「……」
 「でも、友達が何人もいるんだ」
 「(うそつけ)ああ、そうなんだ」
 「オサーカはトーキョーの中にあるのか?」
 「(あるわけないだろ)ない」
 「……」
 「大阪はないけど赤坂ならある」(なんのこっちゃ)
 「オサーカはどう発音するの?」
 「オサーカじゃなくてオオサカ」
話しの収拾がつかなくなってきたので個展の案内状をあげて終わりにした。

宇野さんは売店のおばさんにどこから来たのか訊かれてトーキョーと答えるとやはり
 「トーキョーはいいところだ。娘が行ったことがある」
という答えが返ってきたそうだ。
これはいい。わたしもなにかあったらこの手を使わせてもらうことにしよう。誰かが
 「出身はメキシコなんですよ」
と言ったら
 「メキシコですか、あそこはいいところですよねえ」
と返事をし、行ったことがあるんですか、と問われたら
 「ない」
と答えるの。いい加減な奴だと思われるだろうが、かなり面白いのではないだろうか。


 朝食。昨晩三人で分けた食パンにバターを塗る。鮫と戦うはずだったナイフで塗りつけて口に運ぶ。飲み物はないから水を飲む。部屋には湯沸かしポットとかついてない。これだとカップラーメンも食べられないなあ。コーヒー飲みたいけど我慢する。ヨーグルトも食べた。AAの機内でくすねたスプーンが役に立った。リンゴも皮をむかないでそのまま囓る。あ、美味しい。甘すぎず、酸味がじわっと口の中にひろがって懐かしい味だ。プラムも食べちゃう。

 ロビーで待ち合わせて三人でギャラリーに向かう。宇野さんはDELIでコーヒー買ってきて飲んだそうだ。そうかその手があったな。ホテルには朝食ができるレストランもあるが、10ドルするから日本の貧乏なアーティストたちは一度も利用しないで毎朝横目でちらちら見るだけだった。



 ホテルは10th Ave.の49st.にある。セーラムギャラリーは同じ10th Ave.の26st.だから歩いていけないことはない。1ブロックが80メートルだそうだから、約2�劼箸いΔ箸海蹐�。いい運動だ。途中、横道に逸れたりしながらぶらぶら歩く。画材屋さんを見つけて迷わず入る。昨晩のタイ料理屋でもくつろいでしまったが、ここ画材屋さんというのもわれわれにとっては癒しの空間である。見るだけで楽しい。木嶋さんと宇野さんはゴールデン社のアクリル絵の具の値段を調べて、安い!と唸っている。輸入している日本の会社はかなり儲けてるなあ。ゴールデン社の社長に宇野さんはコンタクトをとりつけているので、今回ひょっとしたら社長が個展を見にきてくれるかもと期待しているのだった。みんな少しずつ小物を購入している。わたしは画材屋さんオリジナルのバッグを買った。
公園と団地を抜けて歩く。リスが走って木に登っていく。そういえば猫見ませんねえ。見ないねえ。猫いないのかな。犬はたくさん見かける。おしゃれなマダムが犬を連れて歩くのは一つのステイタスなのだろう。「犬を連れた奥さん」ていう小説書いたの誰だっけ?宇野さんと木嶋さんは、猫がいない理由を「猫はリスと共存できない」という法則を「発見」したと言って悦に入っている。結局、ニューヨークでは最後まで猫の姿を見ることはなかった。


 ギャラリーに着くと大変な状況が発生している。今日の午後3時までに到着するはずだった荷物が時間を過ぎても着いてないのだった。運送会社に連絡してもらうと、すでに24日に配達済みと言っているらしいが、届いてはいない。実際に配達した人と連絡を取りたいが、月曜でないと無理のようだから、もし荷物がちゃんと届いたとしても搬入はかなり遅れることになる。かなり困った状況だが、ギャラリーの竹本さんと旦那さんのニコラスさんも顔がこわばっている。
 わたしの搬入は28日と29日の二日間の予定だったが、一日ずらして29日と30日でもいい、30日は展覧会初日だが、公開制作ということにしましょうと言うと、ニコラスはほっとした表情になって、私もそれがいいと思ってたんです、とやっと笑顔になった。

 荷物のことは、本当に無事に着くのか、行方不明ということになったりしないだろうかと心配だったが、心配ばかりしていてもしょうがないので、セーラムギャラリーの向かいにあるビルのギャラリーを三人で見てまわることにした。一つのビルの中に10以上のギャラリーが入っている。一つひとつ作品を紹介することはできないが、ものすごいエネルギーに圧倒されてしまった。美術館などで作品を見るよりも、はるかに凝縮されたパワーに驚く。木嶋先生は「勉強になるなあ」とつぶやいた。ある人の作品は、壁をぶち抜き、紙を張り、その紙が少しずつ切られて、小さくなり、その紙が紙ヒコーキに変わっていき、ギャラリーの空間をぐるぐる渦を巻いて飛び回る。その数、数千機。それだけではない。骨の形をした脚をもった家具が、天井まで積み重ねられている。この人はデザイナーでもあるらしい。映像もある。その映像の中に現れる立体が、実際の鉄の大きな立体として作られスクリーンの前に置かれている。アクリルの巨大な箱。箱といっても5メートル四方の底辺に高さは7〜8メートルもあるだろうか。その中は幾層かに区切られ、本のようなものだとかいろいろ置かれている。このインスタレーションは2日や3日の仕事ではない。10人のスタッフで作業をしても一週間はかかるだろう。こんな大きなスケールの個展が一つのビルの中にいくつもあるんだから堪らないね。作品の評価基準というというものは、わたしはユニークであるかどうか、それだけだと思っていた。竹本さん言うところのアイデンティティーである。それとセンス。しかしその基準にもう一つ加えなければならないものがある、というのが三人が達した結論である。その基準というのは何かというと、「パワー」である。必要なのはパワーであって、そのパワーが作品そのものになる。これは全く新しい発見だった。これは言葉だけではたぶん理解できないと思う。想いのパワーと実際的な力業としてのパワー。とにかく半端じゃない。


 帰りにスーパーに寄って買い物。それぞれいろんなものを買い込む。水とジュース。サラミ、バナナ、ピーナツクリーム、リンゴ。ポテトチップス。ホテルの部屋でリンゴをテーブルの上に並べたらセザンヌの絵みたいだった。

 夕食は昨晩行ったタイレストラン。他の店を探すのが面倒になるくらい三人とも疲れている。同じ店に足が向いてしまうというのは、おじさんのおじさんたる所以でもある。なんか侘びしい気もするが、昨日「また来るからね」と言っておいたし、まあいいんじゃないかな。木嶋先生は「オレ、毎晩この店でいいや」と言いながらドアを開けた。昨日食べ損ねた生春巻きや、ヌードル類を注文する。わたしはワイン。二人はビール。一本だけ飲んで追加はしなかった。昨日は出てこなかったグラスが今日は出てきた。こんなにパワーがなくて大丈夫なのか、ジャパニーズアーティスト!




3月28日(日)

 調子がかなり悪く疲れもひどいので、無理をしないでホテルで一日過ごすことにする。
 木嶋さんと宇野さんは「観光」に出かけた。
 パンとサラミ、セザンヌのリンゴで朝食。DELIでコーヒーを買ってきた。宇野さんに、ちゃんとブラックと言わないと砂糖とミルク入れられちゃうからね、とアドバイスを受けていたのでブラック!ノーシュガー、ノーミルク!と強く言う。1ドル。
 面倒だが、毎食前にインスリン注射をお腹に打つ。

 病気の話しをしよう。わたしはどっちかというと小さいときから元気で健康優良児だった。小学生時代は慢性鼻炎で耳鼻科に通っていたことがあるのと、中学生のときに盲腸の手術をして入院した以外は病院に行ったことがない。虫歯もなかった。
 ところが高校生になった頃から、妙に調子が悪くなることが多くなった。急にだるくなり、眠気が襲ってきて、微熱も出て寝込んでしまうのだ。なんの前触れもなく突然やってくる。これが月に何回も起こる。口内炎も頻発するようになった。口内炎はベーチェット病の初期症状であることを知ったのはそれから20年後の37歳のときだった。

 ベーチェット病は難病指定である。難病というのは�ヾ絢�することがない。�⇒�効な治療方法が確立されていない。というのがその定義である。
 こんな病気になってしまったのだから、もう他の病気にはならないだろうと思っていたら今年の1月に糖尿病になってしまった。1月いっぱい入院をした。毎日食後と就寝前にインスリン注射をしなければならない。糖尿病には2つのタイプがある。食べ過ぎと運動不足とストレスが重なって発症するいわゆる生活習慣病の糖尿病は2型と呼ばれている。タイプ・ツーである。わたしはこれとは違い、原因が不明で突然膵臓の機能がストップしてインスリンが全く出なくなってしまうのだ。子供のときに発症するのがほとんどなので小児糖尿病と呼ばれることもあるこのタイプは1型という。まったくもう、人生ってこんなもんだね。糖尿病は血糖値が高くなってしまっていろいろな症状が出るので、血糖値を下げるためにインスリンを打つわけだが、注射をするとときどき効きすぎて低血糖になることがある。血糖値が下がりすぎて、これも怖い。放っておくと昏睡状態になり、死に至ることもある。
 いつもブドウ糖を携帯していて、低血糖になってしまったら急いで飲む。病院で、ニューヨークに行くと言ったら、同行する人に糖尿病のことをちゃんと説明して何かあったら助けてもらうように、と指示された。宇野さんに説明したら、わざわざブドウ糖キャンディーを買ってきてくれていた。ありがたい。
 日本では二日に一回くらい低血糖になっていたのだが、ニューヨークに来てからは、結局一回低血糖になっただけで、宇野さんのブドウ糖キャンディーは活躍できなかった。宇野さんは口寂しくなったときに食べていたそうだ。美味しいという感想。

 夕方までずっと寝ていたが、起きあがったときはテレビを見た。ニュースが面白い。
タイガー・ウッズについてコメンテイターが何人かで討論している。心理学者や精神科医もいる。ウッズは逃げているだけですよね?だいたいセックス依存症なんて病名はないでしょ。ないねえ。などという会話が続く。こういう討論をしていること自体が面白い。バチカンの事件も大きく取り上げられている。教皇だか神父だかの少年愛が発覚して、インタビューされたカトリック信者は深刻な顔をして「もう幻滅しました」などと答えている。そんなのあるに決まっている。西海岸の方から記録的などしゃぶりが続いて、西側の各地で水害が発生している。ニューヨークもまもなく雨になりそうだ。

 すごくえげつないバラエティー番組があった。司会者の紹介で女性が一人出てくる。司会者が、どんなご相談ですかと問いかけると、女性は旦那が他の女性と関係している。しかもその相手は私の母親である、というとんでもない相談だった。司会者がいったいどういうことですか、と言うと女性はその経緯をつまびらかにしていくのだった。そして司会者はもう一人、彼女の旦那を呼び入れるのだ。会場は騒然となり、ブーイングの嵐。旦那は、それは何かの誤解だ、違う、と主張する。すると司会者はさらにもう一人、彼女の母親まで会場に招き入れる。そして真実が公衆の面前で明らかになっていく。結局、旦那と母親はセックスをしていたことが分かり、感情の高まりと憤激に耐えられなくなった彼女は会場を飛び出していく。壮絶だ。こんなのがいくつも続く。いやはや。これは日本では考えられない番組だな。

 ベッドに寝そべってテレビを見ていると電話が鳴る。宇野さんから、夕食を食べに行こうという誘い。

 49th St.を10th Ave.から9th、8th方面に店を覗きながら歩く。寿司やさんがある。どうする?いいんじゃないの?ウィンドウ越しにメニューを覗く。値段もほどほどである。入ろう入ろう。酢飯が温かいのが気になったが美味しい握りだった。シャリの量がやたらと多かったが、これくらいでないとアメリカ人の胃袋は満足しないだろう。レギュラー(並ってことかな)が確か14ドル。ボリュームがあるのでお腹いっぱい。木嶋さんはみそ汁に満足したようだ。店内には松田聖子とか、ユーミンとかの曲が流れていた。

 今日の二人の「観光」は、いろんなところに足を運ぶつもりだったが、MOMAの見学に時間を取ってしまい、結局MOMAだけで終わってしまったとのこと。企画展はアブラモビッチの個展をやっていて、パフォーマンスが刺激的だったことを二人、口を揃えて言う。アブラモビッチは昔、世田谷美術館にも来て、動物の骨を大量に積み上げて、それをタワシで洗うというパフォーマンスをやった。MOMAでは彼女自身は「出演」せずに、俳優が「演じた」。全裸の男女が向かい合って立っている。二人の距離はほんの数10センチ。そして観客は二人の間を通り抜けるのだそうだ。スリリング過ぎる。
 これは日本の美術館ではできないだろうなあ。




 3月29日(月)雨

 われわれの荷物は運送会社の入力ミスで配送センターのようなところに保管されていることが判明。配送済みという扱いになっていたそうである。今日中に配達されるとのこと。
 午後2時ごろトラックが到着。三人の作品と展示用材料の入った大きな木箱が運びこまれる。早速搬入開始。箱の中にはわたしの作品カタログが100冊入っていたのだが、開けてみるとなんとそれはアートカクテル展のカタログだった。大ショック。なんてドジなんだろう。この個展のために作ったカタログなのに。手持ちで30冊ほどもってきていたのでそれで対応することにする。

 わたしは三人のスタッフとテーピング。スタッフは竹本さんの娘さんで前回もスタッフをやってくれたクリオ、息子さんのロビン、クリオの友達の男の子、名前を失念。ごめんなさい。まず窓をロールの黒い画用紙で覆う。遮光してプロジェクターを使うためである。前回はデジカメで作品のドローイングを撮影し、デジカメを直接プロジェクターにつないで投影したが、今回はOHP(オーバーヘッドプロジェクター)を日本から運んできた。下絵のフィルムを直接使えることができるので便利だ。この点、パソコンに取り込んだ画像は、ちょっと斜めにしたり、裏返しにしたりという対応ができないので不便だ。日本とアメリカの電圧が違うので変圧器を持ってきた。スイッチを入れて投影すると、点くことは点くが、すぐにOFFになってしまう。困ったなあと腕組みしていると、竹本さんが、変圧器はいらないわよと言う。変圧器がないとニューヨークではプロジェクターは使えないと言われて日本で買ってきたのだが、必要がなくなってしまった。たとえば携帯電話の充電器などは日本のものがそのまま使えるのだが、プロジェクターのような電圧の高いものは使えないと言われてきたのに使えてしまった。こういうのって実際にやってみないとわからない。

 今回の作品は黒いテープを使って1点だけ作る。写真は女子医大のドクター、ナース、検査技師の三人の写真とわたしの腕に注射をしているもの、四枚。100センチ×160センチほどのすごく大きく伸ばしたもの。大きすぎるかなあと心配していたが、ちょうどいい。これぐらい大きくないとニューヨークの空間に対峙できないかも知れない。クリオが他の二人にテーピングの方法を伝授しながら作業はゆっくり進んでいく。男の子二人はヘッドホンをつけて音楽を聴きながらマイペースを保っている。マイペース過ぎて、ちょっと遅いかなと思って見ていたら、わたしよりも竹本さんのほうがハラハラしてしまったようで、三人を叱咤激励している。あんたたちね、もうちょっとペースを考えてやりなさい。もし終わらなかったらバイト代は払わないからね。3時から始めて今日は6時でひとまず終了。あとは明日がんばってもらおう。



 木嶋先生は早々と展示を終えている。
 木嶋先生といっしょに宇野さんの搬入を手伝うことにする。
なんかふらふらするなあ。あ、低血糖だ。昼ご飯を「サンドイッチ・ミニ」とかにしたからかなあ。うずくまってしまうが、ブドウ糖を飲んで踏みとどまる。宇野さんが買ってきてくれたブドウ糖キャンディーも食べる。
 竹本さんが、ビール買ってくるから飲みながらやりましょうよと提案。反対する理由は一つもない。飲みながら搬入作業は進んでいく。配置に手こずる。この壁につけるこの作品は床置きにしましょうよ、というわたしの提案を受け入れたりしながら、作業をしていく。

 「週間NY生活」というレトロなネーミングが素敵な日本人向けの新聞社の方がギャラリーに来て、3月20日付の新聞を持ってきてくれる。今回の我々の展覧会を取り上げてくれている。写真は吉岡のものを使ってくれている。ありがたい。

 三人とも疲れていて作業の手が止まりがちになる。ビールもまわってきてどちらかというとおしゃべりが中心になってくるがどうしようもない。それでもなんとか9時半には終わる。

 バスを使って26th St.から49th St.まで乗ってホテルのすぐ前で降りる。バスは結構便利だ。地下鉄のメトロカードでバスにも乗ることができる。日本のスイカみたいだな。便利だ。
 近くのインド料理の店に入る。レストランではなく、セルフサービスの吉野家か松屋かって感じの雰囲気。かなり怪しげで、客はインド人しかいない。しかし疲れているジャパニーズおじさんたちはそんなこと構っていられない。プラスチックの器とプラスチックのスプーンでカレーを掻き込む。ふたりはチキンカレー。わたしはゴート。山羊だね。山羊の骨もごろごろ入っていてとげとげしているので、口の中を切りそうになる。



 飛行機の中でミラン・クンデラ「生は彼方に」をずっと読んでいたが、ニューヨークに来てからは皮膚からにじみ出てくるような疲れのために、ほとんど進んでいない。クンデラの自伝的小説。自伝、評伝の類がむやみに好きだ。非常に面白い本なのだがへとへとで身体がついていかないのだ。今わたしは日本に帰ってきてこのリポートを書いているわけだが、「生は彼方に」は帰国してから読み終わった。これを書いている今、読んでいるのは永井荷風「ふらんす物語」と車谷長吉「世界一周恐怖航海記」。世間というものに対する見方というか、厭世観というものがこの二人はとてもよく似ていると思う。

 「この世への執着として、吉田兼好は『徒然草』を書き残した。福永武彦は甘ったるい小説を書き残した。お笑い種だ。二人とも、それぞれ別の意味において愚か者である。福永にあるのは、ゴーギャンのように生きられない自分の、ゴーギャンへのあこがれだけである。だから、あんな甘ちゃんの小説を書き残したのだ。一生「大学教授」という安楽椅子に坐り続けた男だ。『徒然草』は絶望の書である。佛道修行にも実は救いがないことを知らしめる書である。それでいて兼好は自殺もしなかった。天寿を全うした。愚か者である。」(車谷長吉)

 大学教授の職が安楽椅子であるかどうかはともかくとして、車谷の「俗」と「反俗」に対する鋭敏な感受性には潔いものがある。
 木嶋さんも宇野さんも大学教授である。お二人を見ていて、わたしは大学教授っていいなあと羨んだり、なりたいと思ったりしたことは一度もない。なぜかというと、見るにつけ聞くにつけ、あまりのハードワークに怖じ気づいてしまうからだ。安楽椅子はないような気がする。
 
 「自分が自分であることの不快。これが私が書きたいことだ。」(車谷)
 「小説とは『人が人であることの謎』について書くこと。」(車谷)
 「往々にして自分には、藝術も、政治も、哲学も、諸有(アラユ)るものが、その表号する声は何であっても、とどのつまりは、乃(スナワ)ち、人を飢えざらしめんために、存在しているに過ぎぬように思われてならぬ事がある。」(荷風)
全く違うことを言っているようで、二人の気分はどこかで通底している。

車谷はこんなことも言っている。
 「『知る』ことは苦痛だ。この船に乗ってからも、実に多くのことを知った。『知る』ことは苦痛だ。生まれてからこの方、知ったことが頭の中に詰まっている。これを全部、忘れてしまいたい。そうすれば、私は楽になれる。」
 車谷は、自分は佛教徒であり、キリスト教に対して反感をもっていると言っているが、『知る』ことは苦痛だ、という言葉と全く同じ意味の言葉が聖書の中にある。旧約聖書、『箴言』の中に「知識を増す者は、悲しみを増す。」とある。この「悲しみを増す」のところを英語の聖書で見てみると、「increasing pain」となっている。
 わたしのテープ作品のタイトル「PAIN」は、実はこの部分から採ったものである。聖書を日本語に訳した人はもちろん英語から訳したわけではあるまい。おそらく原典のヘブライ語から直接訳をしたに違いない。それにしても、PAINという言葉と悲しみという言葉のもつ共通の感覚にわたしは打たれた。この「PAIN」はわたし自身の肉体の痛み、苦痛であると同時に、生きていることの、生きていくことの、知ることの悲しみそのものである。

 昨年、わたしは作品を一冊にまとめて、カタログとして印刷をした。テキストを東京都現代美術館の学芸員、山本雅美さんに書いていただいた。彼女は「PAIN」というタイトルはそろそろ別のタイトルに変わっていくべきであろう、とアドバイスをしてくれている。わたしもその通りだと思うが、あと少し、もう少し「PAIN」を突き詰めていく必要があると考えている。

 わたしはなにゆえに作品を作り続けているのだろうか、なぜ発表することにこだわり続けているのだろうか。制作の動機を含めて、わたしがわたしであることの悲しみ、そして悲しみのあとに現れてくる何かを待っている。ニューヨークで見た作品群の中で、わたしの「PAIN」は、いったい何を伝えることができるのだろうか。




 3月30日(火)風雨

 スタッフは9時半からテーピング作業をしてくれているはずだが、われわれは朝少しゆっくりさせてもらって遅刻していくことにする。
 今日は知り合いが二組見にきてくれることになっている。

 ホテルを出ると外は暴風雨と言ってもいいくらいの雨と風。26th St.まで地下鉄に乗る。駅を出たところにスーパーがあった。覗いてみると、食べ物以外にもいろんな小物が並んでいて面白そうだ。迷わず入る。わたしはお土産にするつもりでトランプを3組とシール、それにバルーンを二つ買う。レジでお兄ちゃんが早口でなにかごちゃごちゃ言っているがよく聞き取れない。オーケー、オーケーと適当に答えていたら、バルーンの包みを破って取り出し、後ろにいた別のおじさんに渡す。え?いったい何をするつもり?と慌てていたら、ボンベからバルーンに気体を詰め始めた。膨らむバルーン、ぱんぱんに膨らんだバルーンは空中に舞い上がる。ヘリウムだな。ちょっと待って、それは日本に持って帰るんだよと言おうとしたがもう遅い。リボンはどれがいい?と聞かれて、ブルーのやつ、とか答えてしまった。もう一つにもヘリウムを入れようとするので、あ、待って待って、それはそのまま持って帰るから、と言って阻止する。



 竹本さんから宇野さんに電話が入る。吉岡のプロジェクターがスイッチを押しても点かないとのこと。あ、それはランプが切れたのだ。ギャラリーに急いで戻る。
スーパーの外に出ると相変わらずの強い風とどしゃぶりの雨。傘をさして歩き始めると青いリボンのバルーンが傘からはみ出して風に煽られ暴れ回る。まぬけだ。それを見て木嶋先生が笑い転げる。ニューヨークに来て一番面白かったのはこれだな、などと言っている。宇野さんがにやにやしながら写真を撮っている。ちなみにバルーンの形はハート。きらびやかな色のデザイン。このまま日本にもって帰るわけにもいかないし困った。とりあえずギャラリーの入口にある暖房機のパイプにくくりつけておく。テーピングスタッフの三人はこのバルーンは吉岡が作品の一部に使うものだと思ったそうである。使いません。
 やはりランプが切れている。すぐに予備のランプに取り替えて、テーピング開始。



 一組めの知り合いが来場。小杉智恵子さんと娘さんの春菜さん。東京都立北特別支援学校の先生。じつは今日初めてお会いする。
 わたしは現在都立しいの木特別支援学校勤務3年目。しいの木の前は、都立港支援学校というところに6年いた。港でいっしょに仕事を先生の中に、伊藤望さんがいた。現在は都立北支援学校に勤務している。結婚もして姓が紅林になり、このリポートが書き上がるころには赤ちゃんを抱いているはずである。彼女の同僚に小杉さんがいたというわけだ。小杉さんは、春休みに「ふらっと」ニューヨーク旅行を思いつき、大学生の娘さんといっしょにやって来ることのなったということだ。紅林さんはそれを知り、ちょうど吉岡という教員がニューヨークで個展をやっているから見てくれば?と言ってくれたのだ。

 小杉さんは、とてもびっくりしていた。作品にではなく、ニューヨークで個展をやっていることにでもなく、「都立の教員が」やってることに驚いたということだ。なるほど、そうかもしれないなあと思う。ニューヨークで個展なんて、そんなことができる時間があるわけないでしょ、都の職員に。時間だけじゃなくてエネルギーだってすべて仕事に吸い取られているはずなのに、というわけだ。まあ、その通りだ。現在の東京都はきつい。20年前と比べたら仕事量は2倍になっていると感じる。書類の量が半端じゃないし、意味もない、つまらないものばかりだ。
 わたしがギャラリーを始めるというと、みんな反対した。とにかく大変だぞとアドバイスをしてくれた。なかには、けっこう忙しくて書類も大変だという人も何人かいた。今の東京都の書類地獄をみんな知らないのだ。ちゃんちゃらおかしい。まあ金銭的にはかなり大変になるだろうが。やってみないとわからないのよ。ニューヨーク個展だって、とにかくやってみて、初めてわかるのだ。

 二組めのゲストは下村ひとみさん。ミズーリ州のセント・ルイスから、旦那さんのスティーヴンを連れてやってきてくれた。彼女とは35年ぶりに会う。山形の高校時代にわたしの一年下だった。当時わたしはキリスト教の教会に通っていて、アメリカ人の宣教師に聖書と英語を習っていた。その時の「同級生」だ。自慢するわけではないが、わたしは高三のときに英語弁論大会に出て、山形県で優勝した。東北大会では2位だった。下村さんは次の年に出て優勝している。彼女は昨年ネットでいろいろなことを調べていて、そういえば高校時代の友達はどうしてるかなあ、といろんなひとの名前を検索したらしい。そのなかに、そういえば吉岡という人がいたなあと調べてみたら、2007年のギャラリーKINGYOのアートカクテル展が出てきたというのだ。ひょっとしたらこの吉岡さんは、あの吉岡さん?と思ってギャラリーに問い合わせてわたしの携帯のアドレスを教えてもらったのだそうだ。いやあ、人生ってすごいね。彼女は日本の短大を出たあとアメリカの大学に進み、スティーヴン・スコット氏に出会ったとのこと。それ以来ずっとセント・ルイスに住んでいる。今彼女はトヨタに勤めていて、旦那はボーイング社だそうだ。三日だけ休暇が取れたのでニューヨークまで来てくれたのだった。

 下村夫妻(スコット夫妻)と、小杉母娘、宇野さんと木嶋さんとでランチ。竹本さんお勧めのイタリアンで、ピザとスパゲティーとサラダ。美味しい。小杉さんが、ビールと言ったので宇野さんと木嶋さんも手を挙げる。下村さんは、しきりにニューヨークはやっぱり都会だ、ミズーリは田舎だと繰り返している。わたしたち夫婦は見ただけで田舎者ってわかるのよ。田舎丸出しってわかるはずだわ。
 「そんなことないでしょう。なんでそんなことが分かるの?」
 「わかるのよ。ニューヨークの人って歩き方とかも違うもの。ニューヨークの人って違うわあ」
 「わからないよ。アジア人のわれわれならまだしも、旦那さんはアメリカ人なわけだし」
 「山形の人と東京の人って違うでしょ。山形にいると東京から来た人ってわかるじゃない。山形の人は東京に行ったら田舎者よ。それと同じ」
 「なるほど、そう言われるとなんかわかる気がする」
 「ミズーリは田舎なの。」
ところで旦那さんは、日本には行ったことあるの?と水を向けると、京都が好きで何回も行った。日本の旅館が大好き、とスティーヴン。好きな食べ物は?と聞くと、寒河江のカツ丼、とわけのわからないことを言う。下村さんの実家が山形県の寒河江(サガエ)で、そこで食べたカツ丼が今まで食べたものの中で一番美味しかったものらしい。下村さんによると、寒河江のカツ丼にはカレーがかかっているのだそうだ。

 スティーヴンは、途中で席を立ってどこかに行った。トイレだな。
さてさて、ずいぶん長居したからそろそろかえりましょうか。ギャラリーに戻らなくては。作品出来上がってるかも。
ではでは、お会計を。あ、残ったピザはdoggybagに入れてもらおう。チップの計算しなくちゃ。やっぱり割り勘かな、と立ち上がると、下村さんが、あ、うちの旦那が払っちゃったみたい。え?じゃ、さっきトイレに行ったのはトイレじゃなくて会計をして来ちゃったわけだったのね?いや、それはまずいでしょ、ちゃんと払いますよ。いいの、いいの、あの人が払いたいって言ってるんだから払ってもらいましょ。なんかすごく日本人的な旦那さんだなあ。木訥な人柄のアメリカ人だ。どっちかというと下村さんのほうがサバサバしていてアメリカ人ぽいかも。幸せそうな夫婦だな。


 ギャラリーに戻る。テーピングはかなり進んでいる。
 5時に終了。なかなかいい感じに仕上がった。お疲れさまでした。



 夕食は、竹本さんと、彼女が見つけてきてくれた居酒屋さんへ。バスで移動。バスの支払いは現金かメトロカードでするのだが、竹本さんはあいにく小銭の持ち合わせがなかった。そしたら、運転手に、いま持ち合わせがない、今度払うから乗せてと言ってタダで乗った。やるなあ。ニューヨークってこういうのが通用するからいいな。

 日本の居酒屋さんと全く同じ造りの店、「男のだいどころー丼屋」。
店員もみんな日本人で、日本語で注文する。メニューも日本と同じ。味も日本と変わらず美味しい。日本語がわからないと入りづらい店かもね。梅干しおにぎり食べたら元気が出た。すごくほっとして疲れが取れる感じ。食べ物の力って偉大だ。




 3月31日(水)

 起きよう、起きようと思いながらぼうっとして寝返りばかりしていたら昼になってしまった。気合いを入れて起きる。
 今日は三人とも別行動。わたしはチェルシーのギャラリー廻りをすることにする。わたしがニューヨークで一番したかったことである。
 20th St.から26th St.までのギャラリーを全部見て廻ったら4時過ぎてしまった。4時間以上歩いたことになる。歩き疲れて、公園で休んだ。鳩がたくさんいる。鳩の写真を撮ったりしてしまう。雨上がりの道路に水たまりができていて、水面に映った街灯やビル、ビルの狭間のゴミ集積所などにもレンズを向ける。


 いちばん印象に残ったのはガゴシアン・ギャラリーかな。ガゴシアンはニューヨークに何軒かあり、二つ見ることができた。一つめはデヴィッド・スミスの金属彫刻。体育館ほどの大きさの空間に3点。この、体育館ほどの、という説明ではなかなかそのスケール感を伝えることが難しいが、とにかく広いのである。天井も体育館のように高い。あとは壁以外になんにもない。このなんにもない空漠に作品が3点。真ん中に、スミス彫刻の代表シリーズである、銀色の金属表面にサンダーを走らせてまわりの光を乱反射させる箱をいくつもくっつけたような作品。作品の後ろの壁には薄いブルーの四角い面があり、それがちょうど額縁のような効果を出していて、スミスの作品が全く違って新鮮に見える。その額縁状の青い壁はよく見ると、もうひとつ向こうにある隣の部屋の壁だった。つまり隣の部屋に行く通路がそのまま額縁に見えたわけである。う〜ん、やるなあ。上手い。ガゴシアンの展示は誰が担当しているのだろう。どこのギャラリーもそうだが、作品だけでなく、展示もギャラリーのレベルと見識を示すものとして、重要視して力を入れている。ガゴシアンは壁の合計3面をブルーに塗っている。おそらくデヴィッド・スミスの作品に合わせてわざわざ塗ったのであろう。それだけでギャラリーの勢いがわかってしまう。もう一つのガゴシアンでは、アレキサンダー・コルダー。これも同じようにたった3点、金属の鉄板を使った彫刻1点とモビールが2点。それだけ。

 セーラムの竹本さんは、展示作品が多いと、見る人は作品でなく壁の空間を探してしまう、とよくアドバイスしてくれる。逆に作品数が少ないと、空間しかないから、作品を探すようになり、作品に視線が集中するのである。

 ガゴシアンの展示を見ただけでもニューヨークに来てよかったと思う。これは文章でも写真でも絶対にわからないものだ。実際の空間に身を置くということの情報量はパソコンなどの通信では送ることができない。通信は通信でしかない。貧弱だ。


 メアリー・ブーンギャラリー。映像作品にたくさんの観客が見入っていた。巨大な4つの壁の床から天井までいっぱいに繰り広げられる映像。ドキュメンタリータッチの事件を撮したもの、俳優を使ってトークをさせたもの、矢継ぎ早に展開していく画面は見る者を飽きさせない。この飽きさせないというのがポイントだな。
 わたしは映像作品は基本的に好きではない。どうでもいい、作家にしかわからない独りよがりのつまらないものばかりだからだ。表面的に時間が流れていくだけの、印象に残らないものばかりだからだ。でも、この作品はよかった。映像のなかに作家のエネルギーと思いがいっぱい詰まっていた。あとでギャラリーガイドで作家名を調べてみたら、バーバラ・クルーガー、とあった。そりゃ、インパクトあるわけだ。

 Pace Wildensteinギャラリーではヨーゼフ・ボイス。夥しい作品の数にびっくり。Wildensteinて、ドイツのギャラリーなのかな。だからこんなにボイスを集められたのかもしれない。脂肪やフェルト、デッサンや木、ビデオなど盛りだくさんで、堪能できた。しかしお客さんはそれほど入っていないように感じた。ニューヨークではボイスといえども過去の人なのかもしれない。ニューヨークという街は過去ではなく、現在にしか興味を示さないような気がする。今がすべてであるようなプラグマティスム。
 栃木県立美術館の学芸員でボイス研究者でもある山本和弘氏はこんなことをわたしに話してくれた。
「ボイスの作品というのは、生きているボイス本人とセットで作品なんですよ。作品と作家がお互いに補完し合う関係。ボイスが死んでしまった現在では、作品もボイスの残骸でしかないのかもしれません。」

 Tanya Bonakdar ギャラリーのスーザン・フィリップス展も面白かった。
 ギャラリー内には「何もない」。暗闇があるだけだ。暗闇から歌が流れてくる。伴奏なしの女性の美しい声で、「サンタ・ルチア」。高校生のころ、学校の音楽の時間に「サンタ・ルチア」の歌詞をイタリア語で暗唱させられたことを思い出した。今はもう忘れてしまっている。これはスーザン・フィリップス本人の声だろうか。それとも誰かに頼んで録音したものだろうか。素人の歌い方ではない。歌声の聴こえる方を向くと、後ろからも同じ歌が耳に入ってくる。二人の歌声を同時に聴いている状態になる。そのまま聴いていると不思議な感覚に襲われる。音を聴いているのに感じてくるのは空間の拡がりである。サンタ・ルチアが終わると、今度は左右のスピーカーからピアノ曲がぽろんぽろんとこぼれてきた。
前後左右にスピーカーが置いてあるらしい。
 たとえばコンサートなどでは、聴衆はホールの前を向いて、演奏者は聴衆の前に立ち演奏をするわけであるが、当然音は前から聴こえてくる。これは、美術でいうと絵画である。自分の目の前にある作品を鑑賞するところが同じである。ところがスーザン・フィリップスの作品は前後左右から音が流れてくるために空間全体が鑑賞の「場」になっている。彫刻的である。音楽というものはそもそもそういう、空間を満たすものなのかもしれないと感じた。これは音楽を使った彫刻作品といえるかもしれない。聴き終わったときに残るのは「音」ではなく「空間」である。しかも真っ暗闇なので、純粋な空間というものを、音楽を通して感じることになるのだ。これがサウンド・インスタレーションというものなのか。これもヘッドフォンやテレビなどでは味わうことができない、実際に「現場」に居合わせないとその面白さと感覚を体験できないものだ。
 ピアノ曲のあと、再び「サンタ・ルチア」の美しい歌声。図らずも涙が流れてしまった。



 ホテルに戻って、宇野さん、木嶋さんと夕食に出かける。宇野さんはブルックリン橋を徒歩で渡ったそうである。木嶋さんはメトロポリタン美術館を巡り歩いたとのこと。
 タイムズ・スクエア近くのステーキ屋さん「OUTBACK」、宇野さんが見つけてくれた。アメリカに来たんだから、やっぱりステーキでしょ。手頃な値段の店をネットで探し出した宇野さん。彼はこういうのが得意である。いつも好奇心とエネルギーに満ちている。

 わたしはそんなにたくさん食べてはいけないので、いちばん小さいステーキはどれ?と店員のヤンキー・ガールに聞く。本当のガールである。彼女は愛想のよい笑顔で、6オンスがいちばん小さいと答えるので、じゃそれを、と頼む。6オンスってどれくらい?ガールは両手の親指と人差し指で輪を作り、これくらい、と教えてくれる。宇野さんと木嶋さんは、それを見て、9オンスのステーキを頼んだ。他にサイドメニューがあって、同じお皿にポテトとかパスタとかいろんなものを載せてくれるらしいが、我々はそれをすべて要らないと断る。本当に?ステーキだけ載せるの?という顔をするので、きっぱり、そう!と答える。もしいろいろ頼んでしまったら、どういうことになってしまうのか、われわれはこの何日かで学んでいるのだ。ビールはちゃんと頼む。アメリカン・ステーキを食べるわけだから当然バドワイザーである。日本でよくいるよね、おれはいつでもどこでもエビスしか飲まない、というような面倒なこだわりを持っている人。こだわりというよりも単に柔軟性と協調性がないだけだ。バカだね。バカとはつき合いたくない。ステーキとビールだけじゃなんだなあ、というのでパンを頼むと、パンは付いてるわよ、だから別に頼まない方がよい、とガールが教えてくれる。じゃあオニオンフライとシーザーサラダね、と注文する。サラダはシェアして食べるからよろしく、と付け加えることをわたしは忘れない。間違っても一人一皿ではない。

 隣のテーブルに、アメリカ人の若い女の子たちが坐っている。見ていると、そのなかでいちばん小さな細い女の子の前には、ステーキの載っているらしい皿に、サラダやポテトやいろんなサイドメニューが大量に盛り合わされていて、山のようになっている。まさかあれ食べないよね。全部は無理でしょ。まさかねえ。あんなに細いわけだし。おじさんたちは気になってしょうがない。ビールがくる。巨大なジョッキに入ったバド。彼女たちを横目でちらちら見ながら乾杯。美味いじゃん、ニューヨークで飲むバドワイザー。

 オニオンフライがくる。落ち着いて、冷静にこのオニオンフライを描写してみる。まず丸ごと一個の玉葱を縦にざくっと切る。玉葱は2分の1になる。さらにカットを加え、4分の1,8分の1にする。これに大量の粉を分厚くまぶしてギトギト油で揚げる。2個めも同じように揚げる。続いて3個め、4個め。揚げ上がったオニオンフライを直径40�僂了�の上に開いた花状に美しく盛りつける。そして3人の日本人客のテーブルにドンと置く。3人のジャパニーズは驚いた顔で何かぎゃあぎゃあ騒いでいるが、店員は無視して立ち去る。

 オニオンフライだけでお腹いっぱいになりつつあるわれわれの前にステーキが運ばれてくる。大きな皿に本当にステーキだけが載っている。うん、これでいい。これでいいのだ。赤塚不二夫なのだ。隣の女の子は、自分の皿の上の料理を口に運んでいる。あとで調べたのだが、1オンスは約28グラムである。わたしが食べているのは6オンスだから170グラムくらい。宇野さんと木嶋さんは9オンスだから250グラムくらいだ。メニューには「ステーキフリーク」という名前の24オンスというのもあって、宇野さんはそれにしようかちょっと迷ったらしいが、24にしなくてよかった、と胸をなで下ろしている。24オンスって670グラムだ。赤身の肉で締まっているが、これはこれで美味しい。
 僕は小食だから、こんなに食べられないよ、といつも訴えていた木嶋先生だが、ステーキを食べながらオニオンフライをつまんでいる。わたしは彼をずっと観察してきたのだが、小食、小食と言いながら、なんだかんだでほとんど完食している。木嶋先生大丈夫ですか?と声をかけるといつも「もったいないから」と答えるのだった。

 パンとサラダが運ばれてきた。コッペパンの形のパンの腹にはナイフが突き刺さっていて、刃先はパンの背中に突き出ている。そのままテーブルに置かれた。ちょっと驚く。このナイフは俺達の店はワイルドなんだぜ、ということをアピールしているらしい。このパンが美味しかった。サラダはシェアして食べるからと言ったのに一人に一皿出てきた。わたしが店員に、一皿だけ頼んだんだけどと言おうとしたら、宇野さんが、ちょっと待って、と言う。ひょっとしたらこれって、これがシェアした状態なんじゃないの?もしこの一皿を三人で分けるとしたら、ちょっと少ないよね。そう言われてみるとそうかもしれない。でも最初からこうやって分けて出てくるのってシェアっていうのかな。でもまあ、そうなんでしょ。一皿を三人で分けると少ないが、これを一人で食べるとなると多い。ヤンキー・店員が「Are you enjoying?」と声をかけてくる。「Oh yes!」と答えざるをえない。あ、隣の少女はあの山のような皿を全部たいらげてしまっている!我々もサラダにとりかかる。
 最後にコーヒーを追加。ニューヨークに来てから、なんだか毎日毎食、コーヒーが欲しくてしょうがない。しかもブラックで。なんでなんだろう。日本にいるときよりも、コーヒーに飢えている。

 「OUTBACK」を出ると、ちょっと立ち止まってタバコを吸う。ニューヨークでは、外タバコはどこでもOKだから、まあ、これはこれでいいかも。タイムズ・スクエアまでぶらぶら歩く。夜11時半を回っているが、タイムズ・スクエアは人混みでごった返している。なにごとかと思うほど人がいっぱいだ。ただタイムズ・スクエアというだけで集まってくるらしい。みんな、お上りさんだな。これを英語でラバー・ネックという。ゴムの首。きょろきょろしてばかりいるという意味だ。
 われわれも首をラバーにしたままホテルに帰ってきた。






 4月1日(木)

 今日はギャラリーのレセプションの日。個展をやっている作家にとって、いちばん大切な日かもしれない。お客さんの反応と評価を直に受け取ることができるからだ。ある意味、勝負の日なので緊張してしまう。たくさんの人が来てくれたらいいなあ。飲み物、食べ物も用意していて、ちょっとしたパーティーになるはずだ。作品を買ってくれる人がいたら嬉しいのだが。レセプションは夕方6時からなので、それまでの時間を利用して、今日は三人でSOHOのギャラリーを見に行くことにする。今ニューヨークのギャラリーはほとんどがセーラムのあるチェルシーという地区に集まっているが、以前はSOHOがギャラリーのメッカだった。今でも有力ギャラリーが残っているので、行ってみましょうということになった。


 作品の評価について。

 作品の評価は何を基準に行うのか。これは、わたしが長いこと考えていて、まだ結論に達していない大問題である。ギャラリーや美術館で作品を見る場合、学校で生徒の作品を並べて見る場合、たぶんすべての場合に共通する評価の基準があるはずだ。幼稚園の生徒の作品とピカソの作品を同列に論じることができるはずだし、それが正当であると思う。ニューヨークに来てから感じているのは、逆に同列に論じることができないかもしれない、という思い。生徒の単なる制作と、「芸術」にまで高められた作品とはやはり別物である、という確信をもってしまったのだ。ギャラリーを廻って、理論ではなく、事実として受け入れざるを得ないと考えた。それはなぜか。

 上手い、というのが評価の基準として普通みんなが考えることかもしれない。間違ってはいないが、上手くなくても良い作品はたくさんある。技術的に巧緻であるというのは、そうであるにこしたことはないし、プロだったら上手くて当たり前だ。上手いというのは、そんなことは芸術家としては必要最低条件だ。センスが良いというのも当然持っていなくてはならない資質である。3年前にわたしがニューヨークで得た新たな評価の基準は「ユニーク」であるかどうかということである。ユニーク、自分が自分であることの「特別さ」、誰とも違うという矜持、自分の人生に対する真摯な姿勢。竹本さんが言う「自分のルーツ」である。単なる個性と呼ばれるようなものではなく、強烈なエゴ。激しい情熱と歴史の中の自分。ニューヨークで見た作品は、このユニークさを競っているように見えた。今まで「見たこともないような」作品を創りだすことで勝負をかけるわけだ。そして、それは今回も変わらずに存在している。生徒の作品を含めて、すべての美術作品はユニークであることを評価されるべきであると思う。

 学校の美術教育というものも、自分のユニークさに気づくことができるように、そして自分のかけがえのなさを感受できるように指導すべきなのである。学校教科指導には教科ごとに「指導の目標」というものが設定されているが、この「目標」というものは美術に限っていえば、みんな同じである。ゴッホが絵を描く目的と、幼稚園児が絵を描く目的は同じである。ことばは違うかも知れないが、同じ目的のためにみんな「表現」を試みているのだ。上記の車谷長吉は、小説を書くのは自分が救われたいからだ、と言っている。ユニークであることと救われることは、最終的に同じことを言っている。

 話しは横道に逸れてしまうが、わたしが勤めている特別支援学校(ちょっと前まで養護学校と呼ばれていた)では、10数年まえから個別指導計画というアホな書類が導入された。どれだけアホか、ここで説明する余裕はないが、一つだけ挙げると、教科ごとに、一人ずつ違う目標を設定することになっている「計画」なのだが、国語や数学ではその能力や進度に合わせて「個別」に目標が設定されることはあるだろう。しかし、音楽や美術などの「芸術系」教科では一律に個別に目標を設定することはすべきではないのである。
 技術的な目標は別にしても、「表現」に関する限り、美術の目標は、どんな年代でも、どんな職業でも、どんな国においてもすべて同じである。同じであるべきである。

 しかし、教育委員会の方々は、美術や音楽、芸術、文化の理解に乏しく素養もないために、そこまで考える力がない。ピカソの絵は「難しい」、「デュシャンて誰ですか?」と平気で宣う人たちが「教育」をしているのである。美術館に行ったこともなければ、美術書を読んだこともない人たちが、美術教育について云々ぬかすのである。わかったふうのことを言うのである。芸術とはなんであるのかという基本的な押さえがないまま指導に入るとこういうことになる。勉強が足りない。


 きりがないので話しを戻す。
 さて、評価の基準はユニークさである、と言ったが、今回のニューヨークで、たくさんの作品を見て感じたのは、作品にはユニークさのほかに、「パワー」が必要であるということである。ここで「パワー」について説明するのはなかなか難しい。実際に作品を目の前にしないと、わたしが、宇野さんと木嶋さんを含めたわれわれ三人が感じたことを伝えることはできないのだが、やってみよう。前述の作品の叙述とこれから書くSOHOで見た作品の印象とを参考にしてほしい。

 「だれでもピカソ」というテレビ番組があって、ご覧になっていた方もいるかもしれない。誰でもちょっとした努力で「芸術作品」が作れる、みんな参加しよう、といったコンセプトの内容だったと記憶している。村上隆とかも審査員で出ていたりしたが、「だれでもピカソ」なんてこれっぽっちも思ってないくせに、よく言うよ。誰でもピカソにはなれない。当たり前だ。素人は素人でしかない。何が違うのか。「パワー」である。単なる「力」ではない。圧倒的な力だ。わたしたちはこ圧倒的な力を感じてしまったのだ。いったいこのパワーはどこから来るのだろう。


 地下鉄の駅からSOHOまでぶらぶら歩く。桜が咲いている。たぶん桜だよね、あれは。ニューヨークはさすが美人が多いと宇野さんと木嶋さんが言う。そうかなあ、とわたし。わたしはアメリカン・ガールにそれほど魅力を感じない。きれいだとも思わない。二人は、「1ブロックに一人の割合で美人がいる」と騒いでいる。そうかなあ。

 土産物屋さん発見。物色する。おお、安い。帰りにここで買い物しよう。え?「I LOVE NY」のTシャツが、6枚で10ドル。本当かなあ。1枚150円。これは買うしかないでしょ。

 お腹が空いたのでランチにしようということになり、店を探す。ウィンドウに掲示されているメニューを見ながら歩くが、なんか結構高い。SOHO値段なんだろうなあ。チェルシーで食べてくりゃよかったか、などと呟きながらお手頃そうなカフェに入る。さっそく注文。宇野さんはサンドウィッチ。木嶋さんはラザーニャ、パン付き。わたしはペンネ・アラビアータ。わたしはスパゲティーも好きだが、ペンネは大好きである。みんな大量のランチに立ち向かう。隣のテーブルに日本人の夫婦が座る。あれ、どこかで見たことのある人だなあ。ひょっとしたら篠原有司男?きっとそうだ。話しかけてみる。あのう、篠原さんでしょうか?そうだよ、君たちは?ということで話しをする。今チェルシーで個展をしている吉岡と申します。ベルリンにいる川辺美咲さんから案内メールが行ってると思うんですが。ああ、来てた、きてた。え、今日がレセプションなの?今日は行けないけど、会期中に顔出すよ。それよりうちに遊びに来なよ。え?明日帰っちゃうの?なんだあ。

 篠原有司男は知る人ぞ知る、ニューヨーク在住のアーティスト。日本のポップ・アートの草分けだ。数年前にポカリ・スウェットのコマーシャルに出ていたから、テレビで見た人もいるかと思う。彼は昔、ボクシング絵画という作品を発表した。ボクサーに扮して、グラブに絵の具をつけて、壁を思い切り連打するのだ。絵の具は激しく飛び散り、飛散した絵の具が絵画を作っていく。ポカリのCMではそれを再現。ポカリ・スウェットのボトルの色であるスカイ・ブルーの絵の具をグラブにつけて暴れ回っていたのが印象的だった。彼も圧倒的なパワーでニューヨークでがんばっている。
ニューヨークに作品送るならクロネコがいいよ、とか、自殺したギャラリー山口の山口さん残念だったよねえ、とかの話しをひとしきりしたあとで夫妻と別れる。



 ドローイング・センターというギャラリーでクセナキス展を見る。クセナキスは著名な現代音楽の作曲家であるが、絵も描くし、建築も手がけたりして多彩だ。現代音楽の楽譜は五線譜がなく、曲線や色や言葉で構成されていて、額に入れるとそれだけで絵画になる。建築もユニークで、実際に建造されたものもあって面白かった。音楽も初めて聴いたが、なかなかよかった。

 大がかりなジョセフ・アルバース展が圧巻だった。シルクスクリーンだけの展示だったが、たぶん彼のシルクスクリーン作品のすべてが並んでいたと思う。アルバースの作品は、幾何学的な形態と色彩が人間の網膜にどんなイリュージョンを作り出すかを模索しているように思える。わたしが最初に作品を発表した当時、最も影響を受けた作家である。彼は、「私は、コンパスと定規だけで私の気持ちを伝えることができる」とどこかで書いていた。かっこいい!と思った。彼は小学校の先生だったんだよねえ。

 ウォルター・デ・マリアのインスタレーションを見る。狭い階段を上がっていくと、元事務所だったのかなあ、という広いスペースが目の前に拡がる。日本の学校でいったら、6教室分はあるだろう。中に入ることはできない。なぜなら、床いっぱいに土が盛られており、入口のわれわれの足下まで迫っているからだ。膝の高さを超えている。もの凄い量だ。トラック何十台分あるだろうか。土は湿っているが、そこに生物の気配はない。死んだ土。圧倒的な死の気配に重苦しい気分になる。
 ウォルター・デ・マリアの作品はどこかこの世と隔絶したところがあり、それが気品になっている。非常によいセンスをしている。ただ、ちょっと腑に落ちないところがないでもない。
 彼の作品はインスタレーションと呼ばれる範疇にはいる(わたしの作品もインスタレーションであるが…)。インスタレーションは「仮設」と訳すことができる。インストールということばがあるが、設置するという意味である。インストールの名詞形がインスタレーションである。会場に「仮設」された作品がインスタレーションというわけだ。インスタレーションの特徴は、第一に仮に設置されているということである。仮であるから、いずれ取り壊され、解体されることを前提に制作されている。わたしの作品であるテープ・インスタレーションも会期が終われば、テープははがされ作品は消滅する。ところが、デ・マリアの作品はどうも違うのである。彼のこの土の作品は「常設」であるようなのだ。この会場に次の作品が展示されることはない。常設だから、ずっとこのままの状態で置かれることになっているのだ。一見インスタレーションのようで、実は「仮設」ではないのだ。

 
 そもそもインスタレーションという制作方法はどこからやってきたのか、その意味、大げさに言えば「思想」は何を言おうとしていたのだったか。インスタレーションが、どの作品も共通してわれわれに訴えかけてくるものは、「死」という概念であるとわたしは思っている。われわれの命は儚く、いずれこの世から消え去るのもであるという事実。病気や事故、戦争のためだけでなく、殺人だって日常的にあるし、ボタンひとつで原子爆弾をいつでも炸裂させることができて、われわれの命は自分ではどうしようもないところで、自分以外の人間にゆだねられてさえいる。「9・11」があったここニューヨークではその思いはひときわ強くなるようだ。そんな現実のなかに生きている者にとって、生とはなんと心許ない時間の連続であることか。いずれ死んでしまうわれわれ。インスタレーションは、そんな現代社会の様相や気分を端的に現したものではないかと考えるのだ。現代という時間的な区切りをつけるまでもなく、宇宙創生から136億年、そのなかの人類の歴史などないに等しい。どんなにがんばってもすべてが消えてしまうのだ。インスタレーションはその一過性において重要なメッセージを伝えているといえる。作品を作ることは大切な行為であるが、実はインスタレーションは展示が終わって作品が消える、というところが作品の「ピーク」であるのだ。なくなることに意味がある。
そういう意味では、デ・マリアの作品はインスタレーションとは呼べないのではないかと思うのだ。インスタレーションが「長期」に展示される。「仮設」を「常設」として見せるところに矛盾が発生している。ここのところは、ウォルター・デ・マリア本人に聞いてみたい。

 OK・ハリスギャラリーに寄ったあと、Deitch projectsというところで、Jules de Balincourtという人の個展を見た。かなり不思議な絵画が大小、抽象から具象まで、お互いになんの脈絡もなさそうな題材がとりとめもなく並んでいる。良いとか悪い、好きとか嫌いという評価を受け入れないような、分裂したイメージ。テレビの画面か、パソコン上に現れたキャラクターの荒れた画像があり、近づいて見ると、ごてごての油絵だったりする。どこか南方の島の風景があったり、光りに溢れた抽象があったりする。わけがわからないといえばわからないのだが、なにかがひっかかり、気になってしまう作品だった。まるで、初めて地球を訪れた宇宙人が地球の風景を描いた絵のようだった。

 さっき覗いた土産物屋さんに寄る。買い物。わたしは6枚10ドルのI LOVE NY Tシャツを12枚とキーホルダーを20個を購入。オバマ・ボールペンも数本。重い。
 一度ホテルに戻って荷物を置き、バスでギャラリーに向かう。すごい渋滞に遭ってしまい、遅れて到着。すでにレセプションは始まっている。中里斉氏が先にいらっしゃっていて、木嶋先生、恐縮。中里氏は日本の抽象絵画の大御所。ニューヨークに住んでいる。

 前回のわたしの個展のときよりもかなり大勢の人が集まってくれていた。100人は軽く超えているなあ。NYのギャラリーガイドに広告を出したのがかなり効いている、と竹本さん。アーティストが多い。たくさんの作家に紹介される。みんな、すばらしいとほめてくれてうれしい。突っ込んだ質問を受けたり、制作方法について訊かれたりした。ドイツから来た若い作家たちとかがいて面白かった。いろんなところから来ているんだなあ。飲みものと軽食の接待をロビンが一手に引き受けてくれている。ニコラスがわたしに駆け寄り、握手をして、すばらしい作品を作ってくれてありがとう、と言ってくれる。木嶋さんと宇野さんもそれぞれ忙しそうだ。疲れたのでロビンに飲み物をもらう。ソフトドリンクにワイン、野菜スティックにフルーツ、クッキー。竹本さんはお客さんの間を行ったり来たりして彼女も忙しそうだ。吉岡さん、写真撮れないでしょう、私が撮ってあげるわよ、と言うのでカメラをあずける。フィルム2本を撮りきってしまった。



 8時過ぎにレセプション終了。緊張と対応で疲れてしまった。
 最後の夜。晩ご飯はどうしましょうか。そりゃあ、やっぱりタイ料理屋さんでしょ、と三人の意見が一致したので、3回めのタイ料理。おばさんが、また来たのねという顔で迎えてくれる。やっぱりここは落ち着くなあ。軽くビールを飲んで、軽く食べる。おばさんの娘だろうか、高校生くらいの清楚な感じの女の子が働いている。電話の対応を一人で引き受けてがんばっている。ニューヨーク生まれなんだろうな、英語がアジア人のものではなくニューヨークの発音だ。

 今回のニューヨークでわれわれが学んだことはたくさんあるが、やはりいちばんの収穫は、「パワー」とは何かを身体で、肌で感じることができたことだ。たぶん木嶋さんも宇野さんもこの「パワー」について説明を請われても、うまく説明することはできないに違いない。言葉にならない。言葉にならないことはたくさんあるし、言葉にならないものこそ大切なものだと思う。
 作品を支えるもの、評価の観点はなにか。技術とセンス、それはあって当たり前のものである。抜群の技術とセンスをもっていることは、アーティストとしての最低条件だ。そしてユニークであること。自分が自分であることの根拠をもっていること。伝えるべきメッセージをストレートに伝えていることである。そして今回われわれは「パワー」という要素が不可欠であることを改めて学んだといってよいだろう。エネルギーといっても良いかも知れない。作品を作り上げる腕力と同時に、完成までひたすら走り続ける持続力と執念、それを支える精神力。
 パワーをつけなくては、次の作品はどうしようかと思い巡らし、ビールを飲みながらわれわれはどんどん酔いがまわっていくのだった。酔いはビールのせいだけではない。




 4月2日(金)

 各自、朝食を済ませ、ロビーに集合。チェックアウトをしてスカイラインホテルを出る。ホテルの前でタクシーをつかまえて、ケネディー空港に向かう。タクシーは10th Ave.を勢いよく走り抜けた。

 空港で軽く腹ごしらえをし、お土産を買う。木嶋先生は娘さんに化粧品を買わなくちゃと忙しそうに駆け回っている。I LOVE NY Tシャツを売っているところがあったので、値段を見てみると、1枚19ドルだった。土産物屋でわたしが買ったTシャツは一枚150円で、同じようなものを空港では1700円で売っている。おかしいといえばおかしいが、いくらで売るかは売る側の自由なので、それもあり得るだろう。ものの値段のつけかたは自由であるということだ。先日、ピカソの絵画作品に100億円の値がつきニュースになったが、美術作品の値段のつけ方も自由である。高すぎる、安すぎる、いろいろあるだろうが、人間が値段をつけるわけだから、決まりはない。自由だ。それを買うも買わないも自由だ。

 一枚150円のTシャツを着るころには、夏がやってくるだろう。I LOVE NY Tシャツは自由な風を呼び込んでくれるだろうか。


10/07/25